(^^;;かなりサボっておりました!!!
ミクシーとアメーバに浮気してました(^^;)(だーってあっちのが携帯で簡単にアップできるし~)
いよいよ明日の土曜日に国立能楽堂にて鸞の会公演です。
父は能「三輪」を「白式神神楽(はくしきかみかぐら)」の小書きで。この小書は京都の観世流片山家の小書で大事にされている演出でございます。この白式の小書は見た感じも面白く、人気の有る小書でございます。
そして私は能「邯鄲」をさせていただきます。
以前ミクシーとアメーバの方に宣伝としてアップした時に、先輩の梅若基徳さんからコメント欄に戴いた文章を
引用させていただき、直’s Eyeとして書かせていただきます。
邯鄲(かんたん)
中国楚ノ国羊飛山の高僧に教えを乞うため旅に出た若者盧生(シテ)は、
途中にある邯鄲の里で、昔仙人がくれたものだという枕を宿の女主(アイ)
より借りて微睡みます。すると帝の勅使(ワキ)が現れ「盧生に位を譲ることになった」
と言い、盧生は宮殿へ迎えられます。帝位につき栄華を極めること50年。
喜びの舞を舞う中、突然宿の女主人の声で起こされる盧生。なんとこれまでの栄耀栄華は
すべて粟のご飯が炊ける間の一瞬の夢であったのです。かくて人生は「一炊(睡)の夢」
と悟った盧生は、清々しい気持ちで故郷へと帰っていきました。
この能は一人の青年の「自分にとって夢(将来)とは?」というものを題材に、
能の手法を効果的に使いとてもドラマティックなものに作り上げています。
まず、「中入」のない一場面物ですが、初めてご覧になられる方は、曲の流れを理解する必要があります。
現状の自己紹介→道行(旅)→邯鄲の里に着く→そこの宿の枕で昼寝をする→王位に就く→
宮殿の中での歓楽→夢から醒めた後、元の邯鄲の宿→悟り、旅立ち というふうに舞台装置も変えずに、
場所の設定が目まぐるしく変わります。
作り物(一畳台、大宮)も最初から最後までありますが、それも途中宿と宮中に変わります。
夢に入った所は勅旨(ワキ)が起こしに来ます。今度その夢から醒めたところは宿の主人(狂言)
が起こしに来ます。それさえ理解出来ればこの能を楽しめるのではないかと思います。
また数ある能の中、唯一ワキが現実的な登場ではなく非現実な夢の中の場面のみ登場するのも
能的に面白いところです。(楊貴妃のように現実から死後の世界に行くのもありますが、これも現実的な人です)
この能の難しさは、勿論主人公の複雑な心理と変化する情景描写なのですが、
宮中を表わす作り物での「楽」という舞も演者にとっても観る方にとってもひとつの見所だと思います。
いかにして狭い一畳台を柱に触れずに宮殿で舞っているように大きく雄大に見せれるかということと、
また舞の途中その宮殿から拍子を踏み外し落ちそうになり夢から醒めそうになるところがあり、
技術的にも大変難しいところです。
人は王になり富も栄誉も不老長寿もすべてを手に入れるのが最良の「夢」なのでしょうか・・・。
曲が終わり、盧生の帰る姿に観客皆様それぞれの「答え」が見えると思います。
直’s Eye
本当に昔の人はよく考えたものだと思います。能の表現でここまで出来るという素晴しい構成になっています。邯鄲の枕=タイムマシーン みたいな、その場の時空をすっと変えて次の場面に・・・
現代劇であれば暗転にて舞台上の物を変え舞台裏で着替えて場面転換が出来るし、映画であれば、CGなどで変えられる。でも能では出来ない。なのにここまでのスペクタクル的な演出をほどこしています。
ですから基徳さんの書いたように、ご覧になる皆様も時空の流れを把握する事が大事になってきます。
時空というか、夢の中ですね!
いわゆる、簡潔に書くとこうです。
現実 シテの出から一畳台の上でシテが横になって寝るまで!
夢1 おワキがやってきて、シテを起こし、シテが王位に着いた事を伝えます。玉の御輿に乗り王位に着いた
事を実感します。
夢2 子方・ワキツレが出て来ます。王位に着いて50年の月日が経ちます。一畳台の上で楽(がく)という舞 を舞い、舞台に降り、春・夏・秋・冬がめまぐるしく変わり子方・ワキツレがすーっと退場します。
囃子・謡も盛り上がり、シテは元の一畳台の上へ
現実 お狂言が粟飯が出来たと起こしに来る。で帰るまで。
とこうなります。
シテは盧生という青年。私の勝手なイメージでは、現代の何がしたいのかをまだ見付けられない若い人にダブル気がします。でもこれではいけないと思い立つ所は前向きな考えを持った人なのではと思います。
ここで考えるのが幕から出てくるところの歩み方と最後の帰るところの歩み方です。最初は当然苦悩悶悶と
しているイメージ、帰りは悟りを開けたという晴れ晴れとしたイメージ・・・でしょうか。
そして珍しいのが、舞台上で横になって寝る型があるというとこです。一畳台の上に枕が置いてあり、お狂言に「一睡 まどろみ候へ」と促され、一畳台に上がりゆっくりと横になります。超ブッキーな私はこの寝方も
上手く望みたい箇所でございます( ̄- ̄)
そしておワキに起こされるところ!!!起き方もガバッと起き上がるイメージ・・・上手く望みたいo(´^`)o
起こされていきなり「あなたは今から王様ですよ」って!!!しかも寝ぼけてるし・・・www
「えっ!!!あんた誰!?!?」みたいな感じですかね???「えっ!俺が王様!?!?えっ!!!」みたいな感じですよね(>o<")謡い方も意識しないと・・・この後直ぐに王位に着いて50年経ってしまいますから、50年後の王位が身に着いた謡い方も・・・
そしてこの後、子役の井上真綾ちゃんのちょっとした舞があります。主役の座持っていかれないようしないと
(-""-;)・・・
その後一畳台の上で楽を舞うところです。基徳さんの文章にも書いてありましたが、その名の通り一畳分の
大きさしかないところで、広ぉ~い王宮をイメージさせる様に舞わなければいけない!!!
そして一畳台から降りる少し手前の空折の一畳台から片足が落ちるという落ちそうになるところ!!!
これ!子供の頃に知らないで観ていた時
「エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ?本とに落ちちゃった!!!」と真面目にアクシデントかと思ってびっくりしましたもん。
ですから皆様は驚かないでくださいませませ(~0~)
そして楽後の仕舞の部分の留!王宮が邯鄲の宿に早替りするところ!子方・ワキツレがすっと切戸に引き、
シテは一畳台に走り込んでそのまま以前の如く横になって寝ます。もう一つの型には飛んでそのまま寝る
型もありますが、今回は走り込んで寝る型にてさせていただきます。
この後のしぐさでお洒落ぇ~(・o・)と思ったのは、お狂言が起こしに来て起き上がる前に、寝る型の時に両手を顔の前に合わせてるんですが、右手に持っている唐団をコトン!と落としすっと起き上がる!というところです。かなり洒落てますよね(~0~)
このあとの呆然と感が特に難しいかと思います。気をつけなければいけないのが、息が荒くならぬようにしなければならないんですが、・・・申し合わせはだめでした(>o<")
とりあえず掻い摘んだ見所でございます。
留の能は京都の井上親子の披キ!半能「石橋 大獅子」です。
11時始めです。皆様よろしくおねがいいたしますヽ(`○´)/
ミクシーとアメーバに浮気してました(^^;)(だーってあっちのが携帯で簡単にアップできるし~)
いよいよ明日の土曜日に国立能楽堂にて鸞の会公演です。
父は能「三輪」を「白式神神楽(はくしきかみかぐら)」の小書きで。この小書は京都の観世流片山家の小書で大事にされている演出でございます。この白式の小書は見た感じも面白く、人気の有る小書でございます。
そして私は能「邯鄲」をさせていただきます。
以前ミクシーとアメーバの方に宣伝としてアップした時に、先輩の梅若基徳さんからコメント欄に戴いた文章を
引用させていただき、直’s Eyeとして書かせていただきます。
邯鄲(かんたん)
中国楚ノ国羊飛山の高僧に教えを乞うため旅に出た若者盧生(シテ)は、
途中にある邯鄲の里で、昔仙人がくれたものだという枕を宿の女主(アイ)
より借りて微睡みます。すると帝の勅使(ワキ)が現れ「盧生に位を譲ることになった」
と言い、盧生は宮殿へ迎えられます。帝位につき栄華を極めること50年。
喜びの舞を舞う中、突然宿の女主人の声で起こされる盧生。なんとこれまでの栄耀栄華は
すべて粟のご飯が炊ける間の一瞬の夢であったのです。かくて人生は「一炊(睡)の夢」
と悟った盧生は、清々しい気持ちで故郷へと帰っていきました。
この能は一人の青年の「自分にとって夢(将来)とは?」というものを題材に、
能の手法を効果的に使いとてもドラマティックなものに作り上げています。
まず、「中入」のない一場面物ですが、初めてご覧になられる方は、曲の流れを理解する必要があります。
現状の自己紹介→道行(旅)→邯鄲の里に着く→そこの宿の枕で昼寝をする→王位に就く→
宮殿の中での歓楽→夢から醒めた後、元の邯鄲の宿→悟り、旅立ち というふうに舞台装置も変えずに、
場所の設定が目まぐるしく変わります。
作り物(一畳台、大宮)も最初から最後までありますが、それも途中宿と宮中に変わります。
夢に入った所は勅旨(ワキ)が起こしに来ます。今度その夢から醒めたところは宿の主人(狂言)
が起こしに来ます。それさえ理解出来ればこの能を楽しめるのではないかと思います。
また数ある能の中、唯一ワキが現実的な登場ではなく非現実な夢の中の場面のみ登場するのも
能的に面白いところです。(楊貴妃のように現実から死後の世界に行くのもありますが、これも現実的な人です)
この能の難しさは、勿論主人公の複雑な心理と変化する情景描写なのですが、
宮中を表わす作り物での「楽」という舞も演者にとっても観る方にとってもひとつの見所だと思います。
いかにして狭い一畳台を柱に触れずに宮殿で舞っているように大きく雄大に見せれるかということと、
また舞の途中その宮殿から拍子を踏み外し落ちそうになり夢から醒めそうになるところがあり、
技術的にも大変難しいところです。
人は王になり富も栄誉も不老長寿もすべてを手に入れるのが最良の「夢」なのでしょうか・・・。
曲が終わり、盧生の帰る姿に観客皆様それぞれの「答え」が見えると思います。
直’s Eye
本当に昔の人はよく考えたものだと思います。能の表現でここまで出来るという素晴しい構成になっています。邯鄲の枕=タイムマシーン みたいな、その場の時空をすっと変えて次の場面に・・・
現代劇であれば暗転にて舞台上の物を変え舞台裏で着替えて場面転換が出来るし、映画であれば、CGなどで変えられる。でも能では出来ない。なのにここまでのスペクタクル的な演出をほどこしています。
ですから基徳さんの書いたように、ご覧になる皆様も時空の流れを把握する事が大事になってきます。
時空というか、夢の中ですね!
いわゆる、簡潔に書くとこうです。
現実 シテの出から一畳台の上でシテが横になって寝るまで!
夢1 おワキがやってきて、シテを起こし、シテが王位に着いた事を伝えます。玉の御輿に乗り王位に着いた
事を実感します。
夢2 子方・ワキツレが出て来ます。王位に着いて50年の月日が経ちます。一畳台の上で楽(がく)という舞 を舞い、舞台に降り、春・夏・秋・冬がめまぐるしく変わり子方・ワキツレがすーっと退場します。
囃子・謡も盛り上がり、シテは元の一畳台の上へ
現実 お狂言が粟飯が出来たと起こしに来る。で帰るまで。
とこうなります。
シテは盧生という青年。私の勝手なイメージでは、現代の何がしたいのかをまだ見付けられない若い人にダブル気がします。でもこれではいけないと思い立つ所は前向きな考えを持った人なのではと思います。
ここで考えるのが幕から出てくるところの歩み方と最後の帰るところの歩み方です。最初は当然苦悩悶悶と
しているイメージ、帰りは悟りを開けたという晴れ晴れとしたイメージ・・・でしょうか。
そして珍しいのが、舞台上で横になって寝る型があるというとこです。一畳台の上に枕が置いてあり、お狂言に「一睡 まどろみ候へ」と促され、一畳台に上がりゆっくりと横になります。超ブッキーな私はこの寝方も
上手く望みたい箇所でございます( ̄- ̄)
そしておワキに起こされるところ!!!起き方もガバッと起き上がるイメージ・・・上手く望みたいo(´^`)o
起こされていきなり「あなたは今から王様ですよ」って!!!しかも寝ぼけてるし・・・www
「えっ!!!あんた誰!?!?」みたいな感じですかね???「えっ!俺が王様!?!?えっ!!!」みたいな感じですよね(>o<")謡い方も意識しないと・・・この後直ぐに王位に着いて50年経ってしまいますから、50年後の王位が身に着いた謡い方も・・・
そしてこの後、子役の井上真綾ちゃんのちょっとした舞があります。主役の座持っていかれないようしないと
(-""-;)・・・
その後一畳台の上で楽を舞うところです。基徳さんの文章にも書いてありましたが、その名の通り一畳分の
大きさしかないところで、広ぉ~い王宮をイメージさせる様に舞わなければいけない!!!
そして一畳台から降りる少し手前の空折の一畳台から片足が落ちるという落ちそうになるところ!!!
これ!子供の頃に知らないで観ていた時
「エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ?本とに落ちちゃった!!!」と真面目にアクシデントかと思ってびっくりしましたもん。
ですから皆様は驚かないでくださいませませ(~0~)
そして楽後の仕舞の部分の留!王宮が邯鄲の宿に早替りするところ!子方・ワキツレがすっと切戸に引き、
シテは一畳台に走り込んでそのまま以前の如く横になって寝ます。もう一つの型には飛んでそのまま寝る
型もありますが、今回は走り込んで寝る型にてさせていただきます。
この後のしぐさでお洒落ぇ~(・o・)と思ったのは、お狂言が起こしに来て起き上がる前に、寝る型の時に両手を顔の前に合わせてるんですが、右手に持っている唐団をコトン!と落としすっと起き上がる!というところです。かなり洒落てますよね(~0~)
このあとの呆然と感が特に難しいかと思います。気をつけなければいけないのが、息が荒くならぬようにしなければならないんですが、・・・申し合わせはだめでした(>o<")
とりあえず掻い摘んだ見所でございます。
留の能は京都の井上親子の披キ!半能「石橋 大獅子」です。
11時始めです。皆様よろしくおねがいいたしますヽ(`○´)/
by kakutou-noh-actor
| 2010-10-15 18:48
| 演能後に思うこと…と