
先の漁翁が義経の霊と知った僧は、漁翁が 言い残した、よし、常(義経)の憂き世の夢を覚ますな
の言葉通りに夢待ちする。
すると 甲冑姿の義経の霊が現れる。
♪落花枝に帰らず 破鏡再び照らさず…
我義経が幽霊なるが 瞋恚に引かるる妄執にて …
未だに西海の波に漂い 生死の海に沈んでいる。
そうか!?最初この曲は義経の大将面を前面に押し出した、
義経をヒーローに仕立てた作りと思っていました。
ここ 屋島は 義経独断場にて義経1人が光を浴び手柄を立てた場所である反面
ここの功績が仇となり、先に堕ちていく運命を辿る事となる…
自分の実際に死んだ場所ではなく、ここ屋島に地縛霊の様に
魂が怨みとしてくくり付けられてしまったんだ!!
そう考えると 義経をシテにした能はやはりこの 「八島」でなくてはいけないんだ…(^o^)v
イラストは能楽イラストをされているkyoranさんに、猿(私は申年なので(^o^)v)のイメージでとお願いして
直猿バージョンの八島のイラストを作成して頂きました(^∇^)無断使用はご遠慮くださいませ!!
さて クリから 合戦の内容が繰り広げられます。
前場とは別の弓流しの部分が強調されています。
♪元の渚は此処なれや 源平互いに矢先を揃え 船を組み 駒を並べて 討ち入れ討ち入れ
足並みにくつばみを浸して 攻め戦う
ここで力強くもドッシリとした囃しになります。
弓流しの場面です!!
本来、合戦の場面ですから騒がしくスピード感のあるところなんですが、弓を落とす場面を強調する為に
敢えてスーパースローに演出されてるんです( ̄□ ̄;)!!ホント素晴らしく作られてますよね!!お能って!!
ワキ座前辺りにて お囃子に合わせて 右手に持っている扇を弓として、落とします するとスローから現実に戻り
スピード感のある囃しになり、シテの動きもスピードを増し 橋掛の一の松にて 扇を落とした方向を見
♪その時何とかしたりけん 判官弓をとり落とし 波に揺られて流れしに
遥かに流れ行く弓を面にて追います

義経は流してしまった弓を取り返すべく、駒(馬)を波間に泳がせます。歌舞伎の様に能には
馬の作物はありませんから、両手にて手綱を握る型にて表現します。
平家軍は 船より 熊手や薙刀で義経に襲い掛かりますが、義経は刀を抜いて応戦します。
素働の小書が付くと(3つの小書をまとめると大事という小書になり、本来は一子相伝だったとも!)
この場面は太刀を実際に抜いて熊手を切り払い♪と切る型がありますが、弓流では ありません
(扇を落とした後、流れ足の型もありましたっけ!?)
弓流の小書により、橋掛りを使った型にて、カケリもキリの仕舞部分も替の型があり謡いの緩急があり、
修羅の苦患を更に表現していて、夜が明けて屋島の浦の元の風景に戻る所なども表現されているのではないかと思います。
♪されども熊手を斬り払い ついには弓を取り返し 元の渚にうち上がれば
無事弓を取り返した義経に家来達は…
兼房達は 「なんとも情けない振る舞いを…たとひ千金を費やした弓であろうと、お命には代えられますまい」
と涙を流し申し上げると義経は「いや!!弓を惜しんだ訳ではない」 と
クセ
我はこの合戦に於いて自分を顧みた事はない。しかし武名は志の半ばにも達していない。なのに
この弓を敵に取られ 義経は力の弱い 射手と言われたならば、それこそ無念である。
これなる心持ちにて、弓を取り返したという 武名こそ 末代まで語り草になるであろう
これを聞いた兼房や他の物達も感じ入って涙を流した
知者は惑わず 勇者は恐れない この理通り 勇猛心にて弓を敵に取られまいと 命を惜しんだのではなく、
武名を惜しんだのだ…
すると 鬨の声が上がった修羅道の苦患の時がやってくる
カケリ
修羅道に堕ちた物は繰り返し敵との合戦を余儀なくさせられるという…
今日の修羅道の敵は誰ぞ
何!能登守 教経か!?
なれば手並みの程は知っている!思い出す…壇之浦の闘いを!!
この壇之浦は平家滅亡の場ではなく、屋島にある壇之浦という場所だと後輩に教えてもらった。
崇徳院が怨念にて操作したとも云われている源平合戦!!!壇之浦という地名の繋がりが平家の行末を
暗示していたようで背筋が寒くなる気がします(x_x)

恐ろしい修羅の苦患 血みどろの戦劇が繰り返され
すると東の空がしらしらと明けてくると 敵と見えていたのは群れる鴎であり、鬨の声に聞こえていたのは
浦風だった。義経の姿も夢のであったかの様に消えていった
終幕