10月22日(土)11時始 千駄ヶ谷にある国立能楽堂にて
父親の後援会であります「鸞の会」がございます。

この会にて昔からさせていただきたかった念願の能「八島」を弓流の小書き付きにて
勤めさせていただきますヽ(`○´)/
子供の頃から何となく興味を持っていた 源九郎義経という人物
能では子方での役が多いのです。鞍馬天狗 橋弁慶 烏帽子折 船弁慶 安宅
牛若丸 (沙那王) 義経
なぜ子役が多いのか
判官びいきと云われ、義経=美少年(青年)と 世阿弥の舞台の華 美少年の子役 が混ざってる気がしますが、
他にはその曲のシテを引き立たせる為に2nd主人公である義経を子役に設定したとも!…
まあ兎に角こうして子役時代にいろいろな義経の役をさせて頂き興味を持ったのです。
さて!能「八島」弓流 那須語 について私の頭の中にあることを文章にさせていただきます。
(くれぐれも私の頭の中にあるものなので、クレームはご遠慮願います。事実はこうだ!!という物はコメントに入れて
くださいませ(。・_・。)ノ)
旅の僧達は都より四国讃岐の国屋島の浦に訪れます。日が暮れるので近くにある塩屋にて一夜を明かそうと塩屋の主を待ちます。
すると漁夫を伴い漁翁(前シテ)が現れます。
修羅物として珍しいのは、だいたいその主人公が討たれた場所にて姿を現すのが通例かと思うのですが、
屋島は義経が数多く活躍した内の1つの場所ですよね!?後にも書きますが、本来 シテ(霊)は六道に落ち、
苦しんでいるのを弔って救って欲しい!と出てくるんですが、この能はシテが後場でも弔ってくれと一言も言わないんです!!
いろんなサイトにも書いてありましたが、この能は正に義経の武勇伝を主題にした作りになっているんですね
僧と漁夫・漁翁の宿借りの会話。初めは汚いから!!と断りますが、僧は自分等は都から来た者です…と
この「都」に漁翁は食い付きます!!
義経は都に居たのに これこれこう言う訳で(マンガのバカボン参照(。・_・。)ノ)都落ちの道を辿りましたから…
そこに引っ掛けた演出になっているのでしょうか…
それは痛わしやq(T▽Tq)(pT▽T)pと僧達を泊めます。僧を塩屋に入れるにあたって、漁翁は自ら扇を開き、下の塵を払う型があり、
そこにどうぞ!!という型が入ります。
都という言葉に執着があるかのように…
僧達を招き入れ、おっとりとした空気が流れる中 ♪旅人の故郷も 都と聞けば懐かしや 我らも元は…と言いかけて 漁翁は涙に咽びます。
都に対してかなりの執着を感じます。
僧は この屋島の浦にて 源平合戦があったと聞きます!話していただけますか!?と
漁翁は易き間の事語って聞かせましょう…と
シテは立ち上がり床几にかかります。
ここより 語りという部分になります。仕方話というのでしょうか…
テレビや映画ではここより回想シーンになります。
♪いでその頃は元暦元年三月十八日の事なりしに 平家は海の面一町ばかりに 船を浮かめ 源氏はこの汀に打出給ふ…
合戦の始まる様子を語り始める。
大将の出で立ちは 赤地の錦の垂直に、紫裾濃の着背長の様装にて、馬の鞍に立ち上がり 源氏の大将 検非違使 源義経と
平家方に 名乗って あっぱれな 大将ぶりであった!! と語ります。
ツレの漁夫が 合戦の始まりを告げるかの如くに謡い出します!!
♪その時平家の方よりも。言葉戦い 事終わり…
平家方より船が1艘出てきて陸近くにて、源氏の勢を待ち構えます。
♪源氏の方にも続く兵五十騎ばかり。中にも三保谷四郎と名乗って。真っ先かけて見えし所に。
ここより有名な景清の錣引きの場面です。
能では 三保谷四郎となっていますが、史実では四郎の兄の十郎となっているそうです。
景清は四郎の錣を掴んで…一説には熊手にて引っ掛けてとも
力比べですね!!
どちらも譲らず 結果 錣が切れて お互い四方に 離れます。
能「景清」の謡いにもありますが、
♪さるにても汝(景清)恐ろしや。腕の強きと言いければ。景清は三保谷が。首の骨こそ 強けれと 笑いて 左右へ退くきにける
お互いがお互いの力を褒め称えたそうです。
錣曳きを見ていた判官(義経)は馬を汀に寄せます。これを見付けた 平家の大将 能登守教経は弓矢にて射掛けます!?
そこへ 大将を討たせまいと、義経一の郎等 佐藤継信が義経の前に来て能登殿の矢を身代りに受け、落馬します!
平家方の、元は教経の兄である通盛に仕えていた 菊王丸(通盛の死後は教経に仕える)がすかさず継信の首を取りに打ってでますが、
継信の弟の忠信がそうはさせまいと弓を射ます!こうして菊王丸も討たれます。
義経は矢に射ぬかれた継信に駆け寄り抱きかかえ、教経は討たれ菊王丸を引きずり上げ船に乗せます。
♪ともに哀れと思しけるか、船は沖へ、陸は陣に。合挽に引く塩の、後は鬨の声絶えて。磯の波、松風ばかりの音寂しくぞなりにける
義経も教経もお互い戦を辞める程の悲しみに陥る結末になってしまったのです…
語りが終わり、僧はあまりに詳しく語った漁翁の名を尋ねますが、浅倉や木の丸殿と古歌に詠まれる人でもない と名乗らない。
塩の引く明け方に修羅の苦患の時が来る。そのときに名乗らずとも名乗るとも よし常(義経)の憂き世の夢を覚ますなよ…
と義経の霊であることをほのめかす様に消えて行く
中入
シテ ツレが幕に入った後に 間狂言があります。
曲の内容を詳しく喋ったり、おワキとの問答で、いろいろと詳しく語ります。
その間にシテが着替えて後に望みます。ホント良く出来た舞台演劇ですよね!!この八島 弓流 に 演ぜらられるのが、那須語 です。
ご存知那須与一の逸話をお狂言方が1人舞台中央にて動きを交えて語ります。
平家方より船が1艘出てきます。そこに綺麗な女御が乗っており、竹の先に扇が取り付けており、女御は扇にて手招きしています。
この扇を射てみろと言う挑発です。源平お互いの命運をかけた…なんというか コインの裏表 みたいな!!
扇が落ちたら平家の負け、射られなかったら平家の勝ち…
生き死にの場面になんかのどかですね(^∇^)
義経は家来に弓の名手がいるか?と尋ねます。そこで抜擢されたのが那須与一です。しかし与一は辞退します。
プレッシャーはかなりのものですよね!?命運がかかっているんですから(・・;)でも聞き入れられず…
祈り岩と今でも残っている所にて 南無八幡大菩薩…と祈り、駒立岩と残っている所に馬の足場をを組み、
矢を射る!!見事 要1寸ばかりの所を射抜き 両軍からの喝采を浴びる(^∇^)
これなる仕方話を 迅速な動きと共に 義経になったり与一になったりして、見せる!
後シテに続・・・
父親の後援会であります「鸞の会」がございます。

この会にて昔からさせていただきたかった念願の能「八島」を弓流の小書き付きにて
勤めさせていただきますヽ(`○´)/
子供の頃から何となく興味を持っていた 源九郎義経という人物
能では子方での役が多いのです。鞍馬天狗 橋弁慶 烏帽子折 船弁慶 安宅
牛若丸 (沙那王) 義経
なぜ子役が多いのか
判官びいきと云われ、義経=美少年(青年)と 世阿弥の舞台の華 美少年の子役 が混ざってる気がしますが、
他にはその曲のシテを引き立たせる為に2nd主人公である義経を子役に設定したとも!…
まあ兎に角こうして子役時代にいろいろな義経の役をさせて頂き興味を持ったのです。
さて!能「八島」弓流 那須語 について私の頭の中にあることを文章にさせていただきます。
(くれぐれも私の頭の中にあるものなので、クレームはご遠慮願います。事実はこうだ!!という物はコメントに入れて
くださいませ(。・_・。)ノ)
旅の僧達は都より四国讃岐の国屋島の浦に訪れます。日が暮れるので近くにある塩屋にて一夜を明かそうと塩屋の主を待ちます。
すると漁夫を伴い漁翁(前シテ)が現れます。
修羅物として珍しいのは、だいたいその主人公が討たれた場所にて姿を現すのが通例かと思うのですが、
屋島は義経が数多く活躍した内の1つの場所ですよね!?後にも書きますが、本来 シテ(霊)は六道に落ち、
苦しんでいるのを弔って救って欲しい!と出てくるんですが、この能はシテが後場でも弔ってくれと一言も言わないんです!!
いろんなサイトにも書いてありましたが、この能は正に義経の武勇伝を主題にした作りになっているんですね
僧と漁夫・漁翁の宿借りの会話。初めは汚いから!!と断りますが、僧は自分等は都から来た者です…と
この「都」に漁翁は食い付きます!!
義経は都に居たのに これこれこう言う訳で(マンガのバカボン参照(。・_・。)ノ)都落ちの道を辿りましたから…
そこに引っ掛けた演出になっているのでしょうか…
それは痛わしやq(T▽Tq)(pT▽T)pと僧達を泊めます。僧を塩屋に入れるにあたって、漁翁は自ら扇を開き、下の塵を払う型があり、
そこにどうぞ!!という型が入ります。
都という言葉に執着があるかのように…
僧達を招き入れ、おっとりとした空気が流れる中 ♪旅人の故郷も 都と聞けば懐かしや 我らも元は…と言いかけて 漁翁は涙に咽びます。
都に対してかなりの執着を感じます。
僧は この屋島の浦にて 源平合戦があったと聞きます!話していただけますか!?と
漁翁は易き間の事語って聞かせましょう…と
シテは立ち上がり床几にかかります。
ここより 語りという部分になります。仕方話というのでしょうか…
テレビや映画ではここより回想シーンになります。
♪いでその頃は元暦元年三月十八日の事なりしに 平家は海の面一町ばかりに 船を浮かめ 源氏はこの汀に打出給ふ…
合戦の始まる様子を語り始める。
大将の出で立ちは 赤地の錦の垂直に、紫裾濃の着背長の様装にて、馬の鞍に立ち上がり 源氏の大将 検非違使 源義経と
平家方に 名乗って あっぱれな 大将ぶりであった!! と語ります。
ツレの漁夫が 合戦の始まりを告げるかの如くに謡い出します!!
♪その時平家の方よりも。言葉戦い 事終わり…
平家方より船が1艘出てきて陸近くにて、源氏の勢を待ち構えます。
♪源氏の方にも続く兵五十騎ばかり。中にも三保谷四郎と名乗って。真っ先かけて見えし所に。
ここより有名な景清の錣引きの場面です。
能では 三保谷四郎となっていますが、史実では四郎の兄の十郎となっているそうです。
景清は四郎の錣を掴んで…一説には熊手にて引っ掛けてとも
力比べですね!!
どちらも譲らず 結果 錣が切れて お互い四方に 離れます。
能「景清」の謡いにもありますが、
♪さるにても汝(景清)恐ろしや。腕の強きと言いければ。景清は三保谷が。首の骨こそ 強けれと 笑いて 左右へ退くきにける
お互いがお互いの力を褒め称えたそうです。
錣曳きを見ていた判官(義経)は馬を汀に寄せます。これを見付けた 平家の大将 能登守教経は弓矢にて射掛けます!?
そこへ 大将を討たせまいと、義経一の郎等 佐藤継信が義経の前に来て能登殿の矢を身代りに受け、落馬します!
平家方の、元は教経の兄である通盛に仕えていた 菊王丸(通盛の死後は教経に仕える)がすかさず継信の首を取りに打ってでますが、
継信の弟の忠信がそうはさせまいと弓を射ます!こうして菊王丸も討たれます。
義経は矢に射ぬかれた継信に駆け寄り抱きかかえ、教経は討たれ菊王丸を引きずり上げ船に乗せます。
♪ともに哀れと思しけるか、船は沖へ、陸は陣に。合挽に引く塩の、後は鬨の声絶えて。磯の波、松風ばかりの音寂しくぞなりにける
義経も教経もお互い戦を辞める程の悲しみに陥る結末になってしまったのです…
語りが終わり、僧はあまりに詳しく語った漁翁の名を尋ねますが、浅倉や木の丸殿と古歌に詠まれる人でもない と名乗らない。
塩の引く明け方に修羅の苦患の時が来る。そのときに名乗らずとも名乗るとも よし常(義経)の憂き世の夢を覚ますなよ…
と義経の霊であることをほのめかす様に消えて行く
中入
シテ ツレが幕に入った後に 間狂言があります。
曲の内容を詳しく喋ったり、おワキとの問答で、いろいろと詳しく語ります。
その間にシテが着替えて後に望みます。ホント良く出来た舞台演劇ですよね!!この八島 弓流 に 演ぜらられるのが、那須語 です。
ご存知那須与一の逸話をお狂言方が1人舞台中央にて動きを交えて語ります。
平家方より船が1艘出てきます。そこに綺麗な女御が乗っており、竹の先に扇が取り付けており、女御は扇にて手招きしています。
この扇を射てみろと言う挑発です。源平お互いの命運をかけた…なんというか コインの裏表 みたいな!!
扇が落ちたら平家の負け、射られなかったら平家の勝ち…
生き死にの場面になんかのどかですね(^∇^)
義経は家来に弓の名手がいるか?と尋ねます。そこで抜擢されたのが那須与一です。しかし与一は辞退します。
プレッシャーはかなりのものですよね!?命運がかかっているんですから(・・;)でも聞き入れられず…
祈り岩と今でも残っている所にて 南無八幡大菩薩…と祈り、駒立岩と残っている所に馬の足場をを組み、
矢を射る!!見事 要1寸ばかりの所を射抜き 両軍からの喝采を浴びる(^∇^)
これなる仕方話を 迅速な動きと共に 義経になったり与一になったりして、見せる!
後シテに続・・・
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by kakutou-noh-actor
| 2011-10-14 23:51
| 演能後に思うこと…と



































